コトダマデイズ

ゲームブログです。

言葉を大事に

以前から「言葉」に対して強い思い入れがありました。「言葉削除」に関して熟議に熟議を重ねて判断して欲しいという願いがあります。

【過去記事】

ことば削除に反対です - コトダマデイズ

言葉削除には熟議を - コトダマデイズ

言葉削除について - コトダマデイズ

「言葉削除」は思考の幅を狭めることにつながります。そして社会的弱者の排除にもつながるでしょう。

削除された言葉に関係のある人は、「自分は言ってはいけないようなカテゴリに所属するのか」と感じるでしょう。そして関係の無い人は「言葉削除されるようなカテゴリの人は排斥してもいいのだ」と考えてしまうかも知れません。

上記の過去記事でも取り上げましたが「ソープ嬢ソープランド」という単語が削除されたようですが、職業差別だと思います。「先生」や「警察官」は削除しないでしょう。

■ 言葉のゲームとは

どうやらコトダマンは言葉に対して軽視しているのではないかと感じることが多々あり、それがかなり積み重なってきました。

コトダマンは今後どうなるのか(個人的なモチベ問題) - コトダマデイズ

こちらでも書きましたが、コトの木ステージの盤面が変更された点や、コラボワード解放に膨大な時間を擁するという仕様を変えない態度に落胆しています。

そしてアンケートでのコラボによる如実な搾取宣言。コラボだけで稼いで行くという高らかな宣言と受け取りました。

■ 言葉に触れる大切さ

なぜ言葉を大切にするかと言うと、言葉内と言葉外をより細かく分けるためです。

言葉による規定(言葉内)と未規定(言葉外)を明確にすることで、人はもっと豊かになります。

例えば「好き」。「好き」にはいろんな感情や状況があります。さまざまな言葉を使ってこの感情を表現できるでしょう。そしてさらに、いくら言葉を使っても言い表せない感情にも気付けるはずです。

この「規定」と「未規定」の選別は、持っている言葉の数が多ければ多いほど精度が高まります。

さらには「未規定」と思っていた感情を言葉で表現してもらった時、とてつもない衝撃と感動を与えられるはずです。

端的に言うと、この世界の素晴らしさを体験する一つの手段として「言葉」を知ることが有効だと言うことです。

■ 良い社会とは

僕は映画や漫画の紹介をするブログを書いていました。良いものを紹介したいというのが文章を書く動機付けになっています。

良い思考とは何か。良い社会とは何か。これらに広がって行くように心掛けて書いています。

ですが最近のコトダマンは誰かに自信を持って紹介することが難しくなってきています。お金をいっぱい使う事が前提のゲームバランス。言葉作りを大切にしないゲームシステム。ゲーム自体の見直しよりもコラボ開発を優先する振る舞い。

これらが紹介できる人を狭めていきます。ガチャゲーが好きなお金持ちでコラボ作品が好き。このような方には自信を持って勧められますが、それ以外はどうでしょう。

曖昧な表現をすると、以前は「味があった」ので「とりあえずやってみて!」と言えましたが、今は「ほかのガチャゲーで良くね?」と返されてしまいそうで悲しいです。

いつか言葉について改善されると信じて我慢してきましたが、どうやら改善することは当分無いようです。

■ まとめ

本記事で言いたいことはただ一つ。

「みなさん言葉を大切に」

ということです。

多くの人が未規定性に撃ち抜かれ世界の豊潤さを浴びる事ができますように。

 

最後にある言葉を引用して本記事を締めたいと思います。

 

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

(ニーバーの祈りより抜粋)