■ ことばを削除する意味を教えてください
コトダマンを始めた当初から「ことば削除」に憤りを感じていました。
登録されていないことばがあるのは比較的納得しやすいです。コトダマンは広辞苑ではないですし、登録されてるか否かを覚えるのも攻略の一部だと感じられるからです。
ですが、元々登録されていることばが削除されるのは納得できません。
一歩譲って、コラボワードは契約上の理由でコラボ期間中のみ出現し、その後削除される、という理由だとしたら納得しやすいです。願わくばコラボワードもずっと残り続けて欲しいですが。
これ以外の理由で削除されるのが納得できません。
もし削除申請を出したことがある方や、今後削除申請を考えている方に、今一度ことばについて、コトダマンについて考えていただきたく本記事を投稿しました。
ことばを削除するという意味を深く考えてみてください。
■ ことばを作って攻撃するゲーム
コトダマンはことばを作ることで攻撃条件を満たすと同時にコンボ数が増加していきダメージ倍率が上昇するシステムです。
登録されることばが多ければそれだけ攻撃手段が増えます。逆に、削除されていけば攻撃手段が減ります。
コトダマーのみなさんはご存知のように、このゲームには「ちんこ」は登録されていますが「まんこ」は登録されていません。一時期ことばが大量に解放されたことがあり、その時には「まんこ」も判定されました。
つまり、ことばとしては認識されているのにゲームには適さないと判断され、外されているということです。
この男女差別について真っ先にフェミニストが抗議すべきだと思うんですけど、フェミニストは何をやっているんでしょうか。
閑話休題。
日本語を扱える人の約半分がちんこを、約半分がまんこを有しているのに、「ちんこ」しか判定されないというのはどういうことなんでしょうか。
「放送禁止用語だからダメなんじゃない?」と漠然と考えている方もいるかも知れませんが、コトダマンは「放送」ではありません。自粛する必要が無いわけです。
自粛する必要が無いのにことばを登録しなかったり、削除されるのです。
放送禁止用語は、その用語を聞きたくない人を守るために設定されています。
テレビやラジオから突然放送禁止用語が流れてきても防ぎようが無いので、初めから放送中にその言葉を発しないようにしよう、ということで自粛しているわけです。
コトダマンの場合、自らその言葉を作らなければ出現しません。自ら嫌いなワードを作り気分を害し、削除申請を出しているのだとしたら、とてもナンセンスです。
もし嫌いなことばがあるのだとしたら作らなければ良いだけの話です。
「子どもがもし見つけてしまったらどうするのか」という意見もありましょう。
「なぜちんこはよくてまんこはダメなのか」という問いに対して答えられないと思いますが、ここも譲ります。
子どもが偶然「フェラ」や「クンニ」を作れると思いますか?「ぇ」にしたり「ん」の後ろに「に」を入れたりするのは、それを知っている人がその言葉を作るために文字を置く以外考えにくいです。
■ 汚い言葉を消せば社会は綺麗になるか
様々なことばが登録されているのがコトダマンの魅力の一つです。
見たくないことばを削除申請することにどれほどの効果があるのでしょう。
人はことばに出会うことでその物事について思考し自らのスタンスを獲得できます。
わからない言葉があれば学ぶ機会になりますし、苦手な言葉があれば理由を探り自己と向き合うきっかけにもなるでしょう。
言葉を削除するということは、そういった社会への手触りや立っている感覚を奪うことでもあります。
そして、言葉を削除してもその物事自体は消えません。差別用語を削除したとしても差別する気持ちがあればまったく意味がありません。
言葉を削除するのではなく、差別してはいけないという気持ちを育まねばならないのに、差別用語を削除しただけで安心するのは、被差別者に対して敬意を払えていないと同時に、差別問題を遠ざける行為だと思います。
もし、より多くの人が、少しでも住みやすい社会になって欲しいと願うのならば、言葉を削除するのではなく、思考のきっかけを残しいろいろな物事に触れ自分の立ち位置を確認するために言葉を利用して欲しいです。
言葉は道具でしかありません。
一つの道具を削除しても別の道具で心を傷付けることができます。
道具の扱い方を学ぶことが大切だと思うのです。
■ まとめ
ことば削除について「ゲームシステム面」と「社会文化的意義」について述べさせていただきました。
まとめます。
・判定ワードやコンボ数が減るのはゲーム的に有利にならない
・放送禁止用語は放送(テレビやラジオ)に使われるのでコトダマンは無関係
・デッキを組むなど意図して作らないと言葉はできない
・言葉が削除されることで被差別者について考える機会を失う
・言葉を経由して物事について思考し人を傷付けないよう学ぶために安易に削除しないで欲しい
以上です。
本記事が、削除申請を出そうと思っている方にとって今一度深く考えるきっかけになったらとても嬉しいです。
また、コトダマン運営スタッフの方々がことば削除申請を全て受け入れるのではなく、本当に消すべきか否かを話し合うきっかけに本稿がなったとしたら望外の喜びです。